やっと泣けた7歳の時の私の分の涙を

周りの子の両親と自分の両親の違いに気づいて

両親は自分に興味がないんじゃないかと

いつもお金の話ばかりで

私は存在する価値がないんじゃないかと無意識のうちに思っていた小さな小さな7歳の、ピカピカのランドセルからった女の子。

でもそれしか知らなくて当たり前だと思うしかなくて一人で耐えた小さな7歳の女の子。

苦手なおじいちゃんとおばあちゃんのところに預けられて一人で勉強するしかなかった女の子。

やっと家に帰れても、自分のことは何にも聞いてこない両親。自分の存在は何もなくて空気のような気になった自分。

それが当たり前でその悲しさ、寂しさ、ぶつけるところも知らずに当たり前だと思うしかなかった7歳の私。

誰にもぶつけられないまま思春期になって大人になって今やっと泣けた。

 

7歳の私。

当たり前だったその環境、寂しかったよね。

周りの子が羨ましかったよね。

他の家族のところに生まれたかったよね。

お父さんとお母さんに1回でもいいから

「今日は学校で何があったの?」って

聞いて欲しかったよね。

1回も聞かれないまま終わっちゃったね。

 

HOW DID YOU DO TODAY

 

オーストラリアで毎日これを聞かれたのが本当に嬉しくて大好きで幸せだった

 

愛されてるって感じた

 

何を言われるより大好きとか愛してると言われるより

 

今日はどんな1日だった?

 

それを毎日毎日聞かれることに何よりも愛を感じた

 

 

7歳の私は

「今日は学校で何があったの?」

「今日はどんな1日だった?」

一度でいいからお父さんとお母さんに聞かれたかったんだよ。

そして、すごいどうでもいい、何の内容もないたわいもない、誰々ちゃんとね、バッタ見つけてね、砂に入っちゃってね、どろどろになったャッたの、って話して、そうだったんだ、悲しかったんだねって言われたかった

習字が綺麗に書けたんだよって言って、そうなんだ、嬉しかったんだねって言われたかった

 

 

あたしの叶わなかった、幼い頃の人生唯一の夢。

お母さんに

「今日はどんな1日だった?」

って聞かれること。

一生叶わない、叶えられない、夢。