7歳の時

泣けなかったんだ。

だってこれが悲しいって知らなかったから。

自分の状況が悲しい状況って知らなかったから。

だから泣けなかったし、泣かなかったし、悲しいって知らなかった。

でもずっとほんとはあれは、あの7歳の時の気持ちに名前をつけるのであれば、悲しい、で、寂しい、で、泣いていいよ、だ。

7歳の時泣けなかった分今泣いている。

大丈夫、大丈夫。もう今気づけてる。あなたは悲しかったんだよ、寂しかったんだよ、ママとパパに自分のことを聞いて欲しかったんだよ。

あたしは知ってるよ。24歳の私はもうあなたの気持ちに気付いてますよ。悲しかったよね。辛かったよね。一人でよく頑張ったよね。誰も頼る人がいなかったのに、7歳で、小さくて。よく頑張ったね。もう頑張らなくていいよ。泣いていいよ。沢山泣いていいんだよ。もう7歳の時のずっとお父さんとお母さんを待ってたあなたはね?もうね、いないの。だって私が気付いたから。あなたが寂しかったって。あなたが悲しかったって。大丈夫。大丈夫。よく頑張れた、一人でよく耐えたれた。悲しかったね。悲しかったね。嫌なことがあっても一人で耐えたよね。ほんとはお母さんに抱きしめて欲しかったよね。ほんとはみんなみたいにお母さんと手を繋いで歩きたかったよね。まだ7歳だったのにね。誰にも手を引かれず一人で歩いてたもんね。いじめられても、嫌なことあっても、悪口言われても、誰にもはなさずに泣かずに耐えてたんだもんね。だから友達が話し聞いてくれて嬉しかったんだよね。ほんとはお母さんに聞いて欲しかったんだよね。ほんとはお母さんに「悲しかったね。もう大丈夫だよ。何でそんなこと言われちゃったんだろうね。おかあさんはまきのこと大好きだよ」。って。1回でいいからいってほしかったんだよね。世界に一人でいいから味方が欲しかったんだよね。お母さんに、お母さんに、味方になって欲しかったんだよね。周りの子たちに何を言われても傷つけられても悲しくても、お母さんだけには味方でいて欲しかったんだよね。お母さんがこっちを向いて欲しかったんよね。お母さんお願いだから私に背中を向けないで、お母さんお願いだから私の話を無視しないで、お母さんお願いだからお願いだからお願いだから私の方を向いて。ずっとそう思ってたんだよね。悲しかったね。本当に辛かったね。よく頑張ったね。

 

 

 

 

 

 

全部思い出した。

 

 

 

 

小学校1年生、2年生に進級するときの1年生最後の作文、テーマ、「小学校にはいっていちばんうれしかったこと」

 

 

 

私は男の子にわるぐちを言われました。とても悲しかったです。すると、小学校に入って新しくできた私のともだちが

「どうしたと?」

と聞いてくれてやさしく話を聞いてくれました。私はとてもうれしかったです。

 

 

 

こんな内容やった気がする。

 

 

 

幼稚園の時、私は女の子の友達にいじめられて泣きながら帰ってお母さんに話したらお母さんはこういった。

「泣いてもしょうがない。まきが悪いんやろ。まきの言うことはしんじられん。」

今思い出したら明らかにおかしい。お母さん自身本当に心が弱ってて、子供にそんなこと言うなんて、明らかに普通の精神状態じゃない。今考えたらわかる。うちのお母さんは今でも本当に心が弱い人。でもそんなことを言われても小さな私は、幼稚園児の私は、頭でこの人のことはもう信用できん一人で生きていくと思いながらも心の中では、おかあさんにはわかってほしかった、私が本当は悪くなかったことを聞いて欲しかった、お母さんだったら私の味方をしてくれるって期待をして、世界に一人だけのお母さんだから絶対私の味方をしてくれるはずだって期待をして、勇気を出してお母さんに、自分がいじめられた話をしたんだよね。

何度も何度も期待した。幼稚園も小学生でも。お母さんは世界に一人だけの私のお母さんだから絶対いつか、いつか、私の味方になってくれるし、本当は今までもずっと味方でいてくれていたはずと期待して。そして何度も何度も期待を裏切られた。大人になった今わかるのは私のお母さんの心の弱さ、たぶん少し精神が弱くて、参ってしまいやすい、たとえ目の前にいる相手が自分の子供であったとしても、その目の前の人のことまで考える余裕がない、人だなと、思う。

けど、7歳の私、小さかった私はずっと信じてた、お母さんは絶対いつか私の味方になってくれるって。半分違うのかもと思いながらも。お母さん、お願い、私の味方になって。私のお母さんはあなたしかいないんだよ。世界中で唯一、お母さんはあなただけなんだよ、お願い、お願いだからお母さんは私の味方でいてほしい。お願い、お母さん。そう、ずっと思ってたんだよね、心の奥底できっと。気付いてなかったけどね、7歳の時は。何度お母さんに裏切られてもこの悲しさには気づかなかったし信じ続けた。だから泣けなかった。泣けなかったし悲しいことに気づけなかったからここまで来てしまったんだ。私はお母さんに、世界で一人だけのお母さんに味方をして欲しかった。お母さんだけでいい、あとは周りの全員に嫌われてもいいからお母さんだけは私の味方をして欲しかった。その叶わなかった思いがいま24歳になってやっと、認識できた。やっと今泣けた。そして叶わなかった理由もわかった。私が悪いんじゃなかったなあ。明らかにお母さんの精神状態がおかしいや。私が悪いんだと思ってたなあ。私が悪いから私がいなくなったらいいんだと気付いたら思ってたなあ、中学ぐらいになったら。幼稚園の時は自分が悪いとかは思ってなかったけど、なんとなく、お母さんが優しくしてくれないことは耐えないといけないしなんとなく私が悪いんやろうなあと言う感じはしとったなあ。

 

 

それでこのまま大人になったと言うことだやね。私なんかいなくなればいいっていう思考の癖は幼少期からの癖。自分を大切にしかたがわからないのも、自分を責めて自分を改善させればいつかお母さんが私の方を向いてくれると信じて信じて、自分を変えて、空気を読んで、生きてきたから。自分が変われば、お母さんはいつか私の方を向いてくれる、いつか私の味方になってくれる、いつか私のことを好きだといってくれる、いつか私のことを抱きしめてくれる、そう思って生きてきたから。思ってなかったけど今思えば心の奥でそう思って行動してたんだって、今やっと24歳になって今までの気持ちに気付いた。

 

悲しかったんだね。

 

ずっと。

 

 

世界に一人だけの私のお母さん

誰にも代われない私のお母さん

味方でいてほしかった

好きだといってほしかった

抱きしめてほしかった

 

 

これがすべて、私の、すべて。

 

 

お母さんは世界で唯一たった一人、特別な存在なんだ、血が繋がってるだけのただの他人だと思っていた、いや、そう思うことで自分の悲しさをなんとか紛らわして戦ってた、お母さんへの悲しみを。お母さんはものすごく特別な存在、誰も代われない、誰も代わりになれない、世界に一人だけその人だけに愛されれば、その子は満たされる。母。お母さん。mother。自分を生んでくれた人。

 

 

ものすごく特別な存在なんだ。

 

 

結果、私が何をしても私がどんなに変わっても

お母さんは私の方を向いてくれなかった

私のせいじゃなくてお母さんの心の弱さが原因だった。いや、もしかしたらもう味方でいてくれてるのかもしれないけど、今までも味方だと彼女は思っていたのかもしれないけど、彼女にはずっと誰かの味方でいる、とか、自分が私のお母さんだっていう責任感とかそういうのを抱える心の強さは、持ってないんだ。彼女もまた幼少期からの経験でそういう一切の心の余裕を持てずに大人になってしまった。